23-09 | 習慣を手放した—Fさんの物語
Fさんは52歳。何十年も同じ習慣に苦しんでいた。それは「完璧でなければならない」という強迫観念だ。
毎日、朝から晩まで。仕事も、家事も、人間関係も。すべてが「完璧」であることを求める自分。その結果、心は休まることがない。常に「足りない」「もっと良くしなければ」という焦燥感に駆られている。
「いい加減なことが、できないんです」
Fさんはそう言った。
「だから、いつも疲れている。でも、完璧さを手放すと、何か大切なものを失う気がして。その恐怖が、僕を完璧さの追求に駆り立てるんです」
催眠セッションでは、その「完璧さ」がどこから来ているのかを探った。
Fさんの両親は、いずれも完璧主義者だった。母親は家事に完璧を求め、父親は仕事に完璧を求めた。その環境で育ったFさんは「完璧であることが家族内での価値がある」と学んだ。少しの欠点も許されない。常に卓越した成果を出していなければ、家族の一員としての価値がない。そういった無言の圧力が、彼を形成していた。
大人になった今、その圧力は外部からではなく、内部から来ている。完璧であろうとする自分。その強迫観念が、人生の質を著しく低下させていた。
「完璧さを手放したら、何が起こると思いますか」と僕は問いかけた。
催眠状態のFさんは、答えた。
「家が壊れるんじゃないか。仕事が失敗するんじゃないか。誰からも信用されなくなるんじゃないか」
つまり、彼の中には「完璧さ=自分の価値」という等式が成り立っていたのだ。
セッションを通じて、彼は「不完全さの中にも価値がある」という経験を何度も重ねた。催眠状態で、彼は「いい加減に過ごす自分」を想像し、その中で何が失われ、何が得られるかを感じた。
その過程で、彼は気づき始めた。完璧さを追求していた時間の中に、本当に大切なもの—家族との時間、人生の楽しさ、人間らしさ—がなかったことに。
セッション後、Fさんは実験を始めた。仕事で「70点でいい」という決断をしてみたのだ。
その時、不思議なことが起こった。成果は落ちなかった。むしろ、余裕ができた時間で、より本質的な仕事ができるようになった。完璧さを追求していた時は、細部にばかり目が行き、全体像が見えていなかったのだ。
家では、家事を「完璧に」やめた。掃除も料理も「今日はこれくらいでいい」と決めた。すると、家族と過ごす時間が増えた。子どもたちは「お父さんと一緒の時間」を、完璧な食卓より価値を感じていた。
6ヶ月後、Fさんは「人生が軽くなった」と言った。
「完璧さを手放すことで、本当は何を求めていたのかがわかった。それは完璧さそのものじゃなくて、完璧さを通じて得られると思っていた『愛される実感』だったんです。でも、愛は完璧さを求めていない。むしろ、不完全な自分を受け入れてくれるところに、本当の愛がある。それが、今やっとわかった」
その言葉に、習慣を手放すことの本質が現れていた。